『図書館の魔女 烏の伝言』を読んで、うわ〜!好きだ〜!という気持ちでいっぱいになり、ただ吐き出します。感想でもなんでもない。
私はヴァーシャがすごくすごく好きなので、彼の再登場と活躍と前向きに生きている様子が見られてとても嬉しくて、それだけで胸がいっぱいなんですね。
初登場時、右腕が無いと書かれていて「ヴァーシャでは?!」と思って、でも違ってたら悲しいしミスリードかもしれないしと、期待しつつも用心して読んでいました。
その後も、笛を作っている、利き手が左、手品と聞いて表情を変える、手話を話題にする、喋れないが最も賢い人を知っている発言、義手、と示唆するものが出てくるたびに「もしかして?いやいや期待しちゃだめだ……」と予防線を張っていました。
これは信じてもいいのでは?と思ったのは作っていた笛は犬笛だった、長らくのお家芸だった、という文を読んだとき。
そのあと、人を謀って生きてきた、その代償にたった一人の肉親と右腕を失った、という文で確信。これで別人だったら何も信じられなくなると思った(笑)
結果、こんなに頑なにミスリードを疑わなくてもよかったですね。素直にいつ名乗ってくれるのかな?と楽しみにしておけばよかった……。
ところで終盤、牛目に「双子座」呼びされてるところ、最高に良すぎません?
足を洗ったはずの過去の己を呼び起こされて苦しんだり動揺したりする描写が好きなので……
罪滅ぼしだとしても己を己で許せなくても、それでも正しくあろうと努力してるんだろうな、という想像をしてしまって勝手に胸がいっぱいになっていました。
こう書くとキャラ萌えだけで読んでるんか?と思われそうですね……。
そんなことはないんですが、お話の構造というか組み立てというか要素というか言葉選びというか、そこもすごく好きなんだけどうまく言語化して説明ができないのがもどかしいです……。
姫御前と近衛と剛力の一行は無事に落ち延びられるのか?のあらすじからは予想できないほどに危うく恐ろしい事態になり、そこでの出会いと義に熱い人々と、裏切りの街で虐げられていた者が最後まで折れなかったこと、そして折れなかったのは仲間と新たな出会いとがあってのことで…という、ハラハラドキドキしながらも、本を持つ手に力がこもって必死に応援してしまうという、全力で読書した!って感じがすごく好きです。
図書館の魔女という作品を読めてよかったなと心から思います。
続編も、待っていていいんですよね……?
※注意書きです※
※ここからちょっと腐向けの話をします。
※問題ないよという方はスクロール↓
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私、一作目からヴァーシャ×キリヒトだと思ってて……
刺客であったヴァーシャは本当のことを何も見せていなくて、商家の次男坊として軽快なキャラクターを演じていて、害する側だからこそ「キリヒト」の強さを理解して警戒していて、一方のキリヒトは人殺しに長けていて、でも本当は好きでやっているわけではなくて、守るためには殺すやり方しか学んでいなくて葛藤していて、本人の気質としては人当たりが良くて誰とでも親しくなろうとしていて、本当の己を偽っていたのは二人とも同じだけど、生かすために腕を切り落としたり、キリヒトのヴァーシャを問い詰める声が震えていたり、図書館の仕事をしながら二人でやりとりした言葉を覚えていてそれがきっかけでヴァーシャは自分の命を諦めないでいてくれたり、なんか、うわーっ!てなるんですよ。
ほわほわしたやりとりをしていた二人のシーンが好きで、ヴァーシャは演技でキリヒトは素だったわけだけど、全部が演技じゃないって私が信じたいのもあるし、ヴァーシャにも自分自身の気持ちとか言葉とか表情とかでキリヒトと相対したいって思ってくれないかな……と思っちゃって……
キリヒト、ヴァーシャに一番懐いてなかった?って思っちゃう。
牛目のことを「キリヒト並だ」と言ったところでうわーっ!てなったし、「俺ならキリヒトを向かわせたりしない」にもうわーっ!てなった。
前者は人を害する術を知っているが故にキリヒトの強さをわかっているんだな……他の近衛とはそこが違うよな……ってなったし、後者はキリヒトのことを大事にというか守る対象に含んでいる発言だと思ったので……。
古アルデシュの館に赴いたときの話はきっと書かれないんだろうけど、兄弟を弔って、自分にできることを見つけて、今がむしゃらに頑張っているヴァーシャが、いつかただのキリヒトとして図書館に勤めるようになったキリヒトと再会して、互いに会わなかった間の話を聞きたい・聞いてほしいってなってぽつぽつ会話をしながら距離を縮めていくようなそんな妄想を……しています……。
傍目には図書館の近衛と魔女の随身だったときのやりとりに見えるけど、自覚する立場が変わってのやりとりだから僅かな変化があるような……そんな妄想……。